星々の本棚シリーズ5

賀川炯

だって、きっと、

言ってしまったら、

この幸せな空間は失われてしまう──

 


ふとしたことで家を抜け出し、祖父の家に向かった私。子どものころから馴染んだ家でいつものように過ごすうち、なぜか違和感を覚え……。夢と現実のあわいを漂いながら、再生を描く「庭」。自分が担当する作家から「これは私の遺書なのです」と書かれた原稿を受け取った編集者が、その作家の正体に迫っていく「マージナル」。ひとり旅の途中で出会ったヒーローを目指す男とのやりとりによって生きる力を取り戻す女性を描いた「ヒーローとミルクレープ」。父の死後、遺品整理をするうちに、自分の過去といまに向き合う男を描いた「旋回のまたたき」。ファンタジーやミステリーの形を借りながら、人の心の迷宮を描く短編六編。文学を愛し、物語を綴ることで自らの魂の居場所を探す書き手の魂の軌跡。


作者からのメッセージ

初めて物語を書いたのは七、八歳くらいのときでした。アンデルセンの『雪の女王』をモチーフに、コピー用紙に落書きした絵本でした。幼いわたしは本筋にはよらず、むしろ、カイと彼をさらった女王の関係に思いを馳せていたように記憶しています。

折ってホチキスで製本したそれは、もちろん恥ずかしいので誰にも見せずにおいたのですが、ある日祖母に見られてしまいました。立っているのが辛いほどに絶望して、つまらないと一蹴されることに怯え、いくつかの言い訳が頭をぐるぐる回りました。

けれど祖母は、こんなに上手に書けてすごいね、と褒めてくれたのでした。

物語が好きで、物語に息づくひとびとが好きで、そんな気持ちがはみ出ただけの落書きでしたが、こんな形で「自分」を受け入れてもらえたのは思いもよらないことで、よく憶えています。

 

不器用な人間で、口べたで、ひと付き合いが得意ではありません。気心知れた家族ですら、何を話すか迷って口を噤むときもある。

そんなわたしにとって、「物語を書く」ことは、きっと、コミュニケーションの手段なのです。

書かれているのは「わたし」ではないけれど、わたしという人間の触れてきたもの、感じてきたものを注ぎ込むことができる。この間こんな景色を見たよ、こんな本を読んでこんなふうに考えたんだ、現代ものでもファンタジーでも、そんなちょっとした近況報告の手紙を書いているような部分が、どこかにあります。あてどなく、読んでくれるかもしれない誰かに向けて。

悲しい思いをしたときには、書くことで救われたこともありました。

「書く」ということは、自分が孤独ではないと確かめる作業でもあるのだと思います。

 

今回の作品集には、今よりもだいぶ若いころに書いた物語もいくつか入りました。掲載にあたって読み返してみたとき、その未熟さに思わず頭を抱えたりもしましたし、書いたころのことがよみがえって複雑な気持ちにもなったりもしました。

けれど、それは当時のわたしの精一杯だったのだ、そして、そんなふうに感じるだけ、自分も前に進んできたのだな、とも思えます。書いている時も、書かない時も、日々をそれなりに懸命に生きて、いろいろなことを考えたり悩んだりしながら過ごしてきた道のり。立ち止まって振り返って、いつの間にかこんなに遠くまで来ていたのだなあ、と感慨深く感じます。

わたしはいまだ道の途中にいて、ゆっくりで不器用な歩みでも、これからも進んでいくでしょう。そうするうち、また、考え方や感じ方が変わっていくこともあるだろうと思います。だからまた、その途中途中で、手紙のように書いていきたい。

誰かのもとへ届いてくれたら、それ以上に嬉しいことはありません。

 

賀川炯

星々vol.6 〈星々の本棚『庭』(賀川炯)刊行記念小特集〉より


著者プロフィール

賀川 炯(カガワ・キョウ)

大学で日本文学研究を学ぶ。専攻は近現代文学で、梨木香歩作品を主に研究した。在学中に「文芸創作ほしのたね」に加入して以来、小説の執筆を中心に活動。舞台やミュージカル等の観劇と散歩と謎解きが趣味。群馬の山奥で生まれ育ったため、定期的に山や川へ行きたくなる。


目次

タイムカプセルの中の温室

巡礼の森から、君へ

マージナル

ヒーローとミルクレープ

旋回のまたたき


2024年12月発行 B6版 200ページ

定価1,540円

装画 斉藤知子

装丁 mikamikami


内容紹介・試し読み


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